2024-02-10

武相荘|町田市

夫婦で訪れた武相荘に、白洲正子さんの書かれた「無駄のある家」という文章が飾られています。
その中にはこんな一節があります。

「・・綿密な計画を立てて、設計してみた所で、住んでみれば何かと不自由なことが出て来る。さりとてあまり便利に、ぬけ目なく作りすぎても、人間が建築に左右されることになり、生まれつきだらしのない私は、そういう窮屈な生活が嫌いなのである。俗にいわれるように、田の字に作ってある農家は、その点都合がいい。いくらでも自由がきくし、いじくり廻せる。一口にいえば、自然の山のように、無駄が多いのである。・・」

住まいを考えているとき、10年後はどうなっているんだろう、20年後は、30年後は、と考えてしまいます。誤解を招くかもしれませんが、今の建主さんの声だけで作ってしまって本当に良いんだろうかと悩むこともあります。だから住まいにはある余白のようなものが必要で、昔からつくられてきた古民家には、どうとでも住みこなせる融通性がある。そして住み継がれてきたんだと思うんです。

どうしてそのような住まいが設計できるか、まだまだ分かりませんが、いつかそういう住まいを作れたらいいなぁ・・と思います。建主さんに「無駄のある家」を作りましょう、なんて言ったら怒られてしまいますかね。

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